ここでは「皆無すぎる」の使い方やその際の注意点、言い替え表現などを詳しく見ていきます。
「皆無すぎる」とは?
「皆無すぎる」とは?
「皆無すぎる」は、少し変わった表現になります。
それは、「皆無」という言葉が「全くない」という意味になるためで、それすぎるとはどういう表現なのかと思ってしまうからです。
よって、正しい日本語の使い方だと言われないこともありますが、いわゆる若者言葉の1つとして、ないもほどがあるといった解釈で用いられています。
例えば、「あのチームが相手では、勝てる可能性は皆無すぎる」といったように使うという具合で、すぐに「超」などと用いるそのような言葉の1つだと考えていいでしょう。
「皆無すぎる」の使い方や使われ方、使うときの注意点
「皆無すぎる」の使い方や使われ方、使うときの注意点
この「皆無すぎる」は、先のように、使われている年齢層が限られている表現です。
口語、文章のどちらでも使われており、若者同士であればごく自然な使い方で、意味もすぐに理解してもらえるでしょうが、一般の会話やビジネスシーンではできれば用いるべきではなく、普通に「皆無です」などと使うことが推奨されます。
元の表現のまま「それは皆無すぎる」と用いた場合、それはありえないといったように意訳することができ、若い年齢層でよくそういった使い方をされている表現となっています。
「皆無すぎる」を使った例文
「皆無すぎる」を使った例文
・『ここはいつ来ても人出が皆無すぎる』
・『そんなことは皆無すぎるので、少しも考える必要もないだろう』
「皆無すぎる」の類語や言い替え
「皆無すぎる」の類語や言い替え
・『皆無に等しい』
この表現もまた、おかしい使い方だと言われることがあります。
それは、「皆無」の時点で全くないという解釈になるのに、それと同じだと用いているためですが、こちらは普通に使われている表現で、「全くないに近い」という意味になります。
そのため、「かなりの難問だったため、正解者は皆無に等しい」のような用い方になり、この場合、正解者はほぼ居なかったと言っています。
まとめ
まとめ
「皆無すぎる」は、正確な日本語とは言いがたい表現で、若者の間でのみ用いられています。
そういった年齢層の間で、ないにしてもなさ過ぎる、ありえないといった意味で使われており、普通に使う場合には正しい使い方になる「皆無です」や「皆無のようです」などとするといいでしょう。