「哀愁ただよう」とは?使い方や言い換えや用例など徹底解釈

寂れてしまった街などを言い表す時には、「哀愁ただよう」との言葉が登場します。

ネガティブな状況の表現なだけに、注意点も存在するようです。

哀愁ただようの正しい用法などを見ていきましょう。

「哀愁ただよう」とは?

「哀愁ただよう」とは?

ある場所や人の姿などに、なんとなく寂しくもの悲しいような雰囲気が現れているとの意味を持つ言葉です。

「哀愁ただよう」の使い方や使われ方、使うときの注意点

「哀愁ただよう」の使い方や使われ方、使うときの注意点

廃墟が目立つ田舎の町並みや、年老いた老人の背中などは、寂しさや物悲しさがあると感じられます。

そのような場面について「哀愁ただよう」と表現するのが適切です。

哀愁ただよう場面としては、衰退した街、古びた建物、懐かしい景色、老いたり元気のない人々などが当てはまるでしょう。

これによって哀愁ただよう状況を、人に説明することができます。

その際には「老人の姿からは」など、一体何から哀愁がただようかを示すと良いです。

これは新しい場所や物、明るく活発な人などに対しては、使うことは難しいでしょう。

また哀愁ただようは衰退や寂れた状況を表すので、人の持ち家などに対して言い表すと不快感を持たれるかも知れないことに気をつけてください。

「哀愁ただよう」を使った例文や文章

「哀愁ただよう」を使った例文や文章

・『今日も都会の場末で哀愁ただようカフェに行ってきました』
・『とても古びた建物の中は、昭和レトロな哀愁ただよう空間でした』

「哀愁ただよう」の類語や言い替え

「哀愁ただよう」の類語や言い替え

「悲哀に満ちた」は、悲しくて哀れな気持ちが、周囲に立ち込めているような状況のことです。

「悲壮感のある」は、辛い状況に対して心がひどく痛むことを表します。

「もの悲しさの漂う」は、なんとなく悲しい雰囲気が満ちていることの表現です。

「寂しさを感じる」は、孤独感を得ていることや、心が満たされずに物足りなさを得ていることを表します。

「哀調を帯びた」は、物悲しい調子が満たされていることです。

「胸が張り裂けそう」は、悲しみや苦しみなどの感情で、心がいっぱいになる状況を表しています。

まとめ

まとめ

どこか寂しげに感じる場面ついてを言い表せるのが、「哀愁ただよう」との表現なのでした。

これにより街や建物や人の哀愁を表現できるでしょう。

ただし人の所有物に用いると不快感を与えるかも知れません。

「哀調を帯びた」など似た意味の表現は多々あるので、選び取ってみてください。

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