「魚の水を得たよう」とは?意味や言葉の使い方など分かりやすく解釈

この記事では、「水を得た魚のよう」の意味を分かりやすく説明していきます。

「水を得た魚のよう」とは?意味

「水を得た魚のよう」とは?意味

「水を得た魚のよう」「みずをえたうおのよう」と読みます。

意味は「その人に適した場所で、いきいきと活躍することのたとえ」です。

自分の能力や適性に見合った趣味や仕事が見つかり、存分に力を発揮して、毎日やり甲斐を感じながら過ごす様子に使われます。

「水を得た魚のよう」の概要

「水を得た魚のよう」の概要

「水を得た魚のよう」の由来は、中国の歴史的文学である「三国志」の一節からきています。

当時まだ国を持っていなかった劉備玄徳が、無名の諸葛亮孔明を見出した直後、2人があまりべったり一緒にいることに対して義兄弟である関羽と張飛が不満を口にします。

その際に玄徳が「自分と孔明は魚と水の様なものである」と言ったことに因み、「魚は水を得ることで力を発揮する」という意味で使われる様になりました。

「水を得た魚のよう」の言葉の使い方や使われ方

「水を得た魚のよう」の言葉の使い方や使われ方

「水を得た魚のよう」の言葉の使い方や使われ方は以下の通りです。

・『彼女は営業部に異動して水を得た魚の様に活躍している』
・『バンドで歌っている時の彼は水を得た魚のようだ』
・『社長はプレゼンで水を得た魚のようにスピーチする』

まとめ

まとめ

今回は「水を得た魚のよう」について紹介しました。

「水を得た魚のよう」「魚は水を得ることで力を発揮する」から転じて「その人に適した場所で、いきいきと活躍することのたとえ」という意味の慣用句、と覚えておきましょう。

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