「百里ある」とは?意味や言葉の使い方、概要(元ネタ)など

ネット上で見かける独特の表現「百里ある」とはどのような意味で使われている言葉なのでしょうか。

今回は、「百里ある」の意味と類似表現について解説します。

「百里ある」とは?意味

「百里ある」とは?意味

「百里ある」とは、「言い分や主張に十分すぎるほどの道理がある」という意味で使われる言葉です。

「百里ある」の概要

「百里ある」の概要

「百里ある」「一理ある」という言葉に由来するネットスラングです。

「ある程度の道理が通っている」「それなりに論理が成り立っている」という意味を持つ「一理ある」という言葉は相手の主張を全面的に認めるわけではないが一部を認めるときや完全ではないが理屈は成り立ちそこそこの説得力を持つときに用いられます。

「一理ある」が相手の理屈や論理を一部認めているのに対し、「相手の理屈や論理をほぼ全て認め深く納得する」ときに使う表現が「百里ある」です。

言葉の成り立ちから考えると「百里ある」ではなく「百理ある」と表現すべきですが茨城県小美玉市に「百里」という地名があることから「ひゃくり」と入力すると「百理」ではなく「百里」が変換広報に表示されます。

ネット掲示板の文化として誤変換をそのまま使用するのは珍しいことではなく、この言葉の場合も変換候補をそのまま使った「百里ある」が定着し現在に至ります。

「百里ある」はほぼ全面的に同意する言葉なので首を立てに勢いよくブンブン振って同意を示すような積極的に道理を認める様子を表します。

単純に考えれば「一理ある」の百倍強い納得を表すのが「百里ある」ですが「十里ある」「五十里ある」など中間の程度をあらわす表現が無いためそこまで強い気持ちでなくても用いられることがあります。

もともとはネット掲示板場で自然発生的に使われ始めた言葉であり正確な発祥や由来は定かではありません。

2000年代の初め頃には既に使われておりネット発のスラングとしては古い部類に入ります。

ネット上では既に定着している言葉ですが一般層にはほとんど広まっておらずメディアや日常生活で使われることはほとんどないネットの独自表現です。

単純な意味合いなので「百里ある」という言葉を知らない人でも意味をくみ取ってくれる可能性はありますが正式な場で使うのにふさわしい言葉ではないので実生活で使うのは控えたほうが安心です。

「百里ある」の言葉の使い方や使われ方

「百里ある」の言葉の使い方や使われ方

・『スイーツは正義、という言葉は百里ある』
・『週休三日制は水曜日に仕事のやる気が無くなる自分にとって百里ある制度だ』
・『主張には百里あるというしかないが実現は難しい』
・『体育の授業が運動嫌いを増やしているという研究結果は百里ある』

「百里ある」の類語や言いかえ

「百里ある」の類語や言いかえ

・わかりみが深い
「深く理解し同意できる」という意味の言葉です。

「わかること」「わかりみ」と表現するのはネット独特の表現で「楽しみ」「おかしみ」等と同様に「分かる気持ち」という意味で使われます。

分かる気持ちが深い、つまり深くわかるというのは相手の主張に納得する「百里ある」と近しい感情です。

まとめ

まとめ

一見すると何のことだかわからない「百里ある」ですが少し考えれば意味はすぐに理解できます。

スラングではあるものの言葉の形式としては昔からある言葉遊びに近く、ネットで生まれた新しい表現ながらどこか懐かしさも感じられる表現です。

実生活ではほぼ意味が通じないので使うのはネットだけにしておきましょう。

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