この記事では、「唖然」と「呆然」の違いを分かりやすく説明していきます。
「唖然」とは?
「唖然」とは?
「唖然」は、何かの現象が起きたと仮定した場合、その現象に対してあきれ返ってしまい何もできないさまです。
その為、「唖然」といえる状態になるには、必ず、呆れかえるほどの何かが無いと「唖然」とはならないです。
「呆然」とは?
「呆然」とは?
「呆然」は、何かの現象が起きた際、その現象が理解できず、立ち尽くし記憶を一時的に失うことや対処できない事態に対して、立ち尽くすことです。
いわゆる、忘却という状態に一時的に陥るのが「呆然」で「呆然」は、現象について理解できないほどの何かがあるか、対処できそうにないことを脳が瞬時に理解して「呆然」となります。
逆に、現象については理解できないが、とりあえず対処しなきゃだめだという考えで行動した場合、これは、「呆然」ではありません。
何故なら、立ち尽くしておらず行動して対処しているが故です。
「唖然」と「呆然」の違い
「唖然」と「呆然」の違い
「唖然」と「呆然」の違いは、物事に対して呆れて行動でき無い様か、理解できない事情に対して立ち尽くしてしまうかという違いです。
「呆然」は立ち尽くすので思考停止に陥り行動が抑制されています。
「唖然」はどちらかというと、行動する気持ちが馬鹿らしくなったという理由で行動力自体が削がれています。
「唖然」の例文
「唖然」の例文
・『上司の部下に対する責任転嫁に対し唖然とする』
この例は、上司の方が部下に対して責任を押し付ける行為に対して馬鹿らしく思い、行動することをためらうという例です。
「唖然」は、呆れかえることでこの例では、上司の態度に呆れており、行動することが馬鹿らしく感じています。
「呆然」の例文
「呆然」の例文
・『たった今、会社が倒産して呆然としている』
この例は、今現在進行形で会社が倒産して思考停止状態にあるという例です。
「呆然」は、その現象について即座に理解できず、この例では、完全に考えることを放棄している状態になります。
無論、時間がたてば、思考が回復して事実を理解すると思いますが、現実逃避をするという選択肢もあるため、こればかりは会社の倒産を経験した人物しかわかりません。
まとめ
まとめ
「唖然」と「呆然」については、どちらも驚いたうえで内容についてあっけにとられるのですが、「呆然」はどちらかというと思考停止で内容を理解できないが故、思考がとまるというニュアンスです。
「唖然」は内容が馬鹿らしく感じてしまい、行動力を削がれるというようなニュアンスなので両者の違いは、思考が停止するか、やる気が削がれるかです。
例を挙げますと「会社が倒産し呆然と立ち尽くす」は、思考停止しており、会社がつぶれた事実を理解できていません。
これを、「会社がつぶれて唖然とする」とすれば、薄々会社がつぶれることを知っていて会社がつぶれたことで何か馬鹿らしいなという考えが働きやる気が起きなくなるという方向に言葉が変化します。